2010/03/13

2010/03/13

 一日がとても一瞬で、一週間が一呼吸しただけで流れてしまう。充実しているときの、それではなく、明らかに不健全な時間の感覚。心が動いている時間は止まっているときの1/12程度。つまりは日に2時間しか、生きていないと言うこと。生物的には代謝もしているし脳も反射行動がほとんどであれ機能している。けれど、思想、妄想は肉体を離れたがっている。

ネットワークが今週でほとんど止まる。ちょうど、毎週録画していた番組のひとつが終わったのでまぁ電子番組表の取得は必要なくなった。不便だけど、しかたがない。

雨が降って、気温も下がって寒いけれど心地よいこともある。反射する雨音が本当に心地よい。重力があって、空気があるから聴くことが出来る。人工的な電車の音や車のエンジン音が混じっても、輪郭が滑らかになるからか、優しく聴こえる。でも、本当は優しくない。生きて戦っている音が、ボヤけているだけ。

歌詞を書いていた。できるだけ、退廃的な言葉や非現実的な世界観の言葉。歌の言葉を綴るときは現実とのリンクをどこに置くべきなのか、慎重に選ぶ。今回のような勢い任せの曲でも、真実を含ませたい。人間は弱いので、ヒーローを夢見ても、共感はできない。強い意思やカリスマ性は事実でもリアルではないと思う。だとしても、逆に不完全さを美化しすぎることは避けなければいけない。罪があることに酔い、堕ちることを正当化することほど愚かしいことはないと思うから。

変化ばかり望んでもしかたがないし、止まっている自分がそれによって動く保証もないのだけれど、このままの状態で浮き上がる自信もない。世界がずっとこのままか、もしくは無くなってしまえばいいとか、本気で頭に浮かんでしまう。

実は、何日かに渡ってこの文章を書いているので、思っていることや、考えていることの中心が揺らいでいる。気分が体調や心理状態の全てを占有して待っている感じで、落ち込むと頭痛になり生きることへの迷いのようなレベルではなく切り離し捨ててしまうような考えが出てくる。肝心なことから逃げていると言うのはわかっているけれど、逃げることに慣れてしまっていると言う最悪な状態。なので、しなければいけないことや、人として当然の戦いを放棄している。

家族が明らかに自分にたいしてもう関心も希望も持っていないことはよくわかる。そういうことに気づいてしまうと、なげやりにならざるを得ないと言うのに。正直で素直なのはいいけれど、もっと上手に騙して引き上げてくれる人がよかった。子は親を選べない。と同時に、そもそもの原因などは全て僕にあるので虫がよすぎる勝手で傲慢きわまりない僕が悪のだけれど。

人恋しければ、友人に電話をすればいいだけのことなのだけど、今の状態だと、 381;ういうことに依存してしまうのではないかと言う恐れがあって、それ以前に実はもうすでに家族だけではなく、そういった繋がりの人からも自分にたいして関心が全く無くなっているのではないかと思うと、結局電話することもできない。

まだ、生きていてもいいのだろうか。

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