2010/01/24

20100124

 すべての感情やすべての言動や心と体さえ矛盾しているように思うのは、たぶんこの種における典型で、僕一人だけではないことはわかるのだけど、それでもまだ落ち続けている。這い上がろうとしたり、変化を望む瞬間が無いわけではなく、むしろ一日のうちに数回は強く思う。けれどまだ勝てない。

 鎮痛剤やその他の薬は、穏やかに眠ることを許してくれても、深層に残ってしまっている後悔とか痛みとかが夢へと見事に反映されて、目覚めてみると脱け殻になった実の自分だから、結局要らないと感じてしまう。

 会いたい人に会えないこととか、支えてくれている人に応えることができないこととか、単純に弱さと言ってしまえばそうなのだろう。ただ、自らを醜いと感じている部分が、人と関わるときに着飾らずにいられなくさせているみたい。そもそもボディーイメージに問題があるのかもしれない。客観的に自分自身の容姿が平均的、もしくはそれ以下だという認識よりも、なにか特出した魅力を求めているのかもしれない。そして、それが無いために自分は劣っていると言う理由であれば、それがすべての諸悪の原因などとして処理をすることで楽になれるのだけど、単純にそのように行っていないのだから、傲慢なのだろう。

 本当か嘘かは無意味だとしても、自分のことを信じてくれている人のなかには必ず真実があって、フィードバックしてきたときに見える自分の姿も、実はやっぱり自分の一部であると言うことを認めないといけない。装った部分や、意識下での言葉でなかったにせよ、自分が外に出したものであることは、受け取った側の真実になってしまうと言うこと。こうやって文章であたかも解ったように綴っても、素直に受け付けれないのが現時点での事実。

 戻らないといけない。人として生きるのであればの話。いつも思うけれど、感情が完全に壊れてしまえばいい。中途半端な理性とか、逃避行為による冷静さのようなものがあるから、生きることに必要な欲求のシステムが正常に働いてしまう。そのため、衝動は押さえられ、ずるい卑しい人間になっている。

 歌を歌えないのではなく、歌うことが許されるのだろうかと言う基準での判断なのだと思う。肉体的な不調でなければ、声を張り上げることはできてしまう。伴う感情も技術的に偽ることもできる。聴く人が聴けばわかるのだろうけれど。ともかく、僕が歌を歌っているときは、精神が健全であるとは限らない。それでも、歌うことを愛しているというのだから、目も当てられない。

 心から謙虚な人というのは実在するのだと思う。まだ、確信を持ってこの人だと言える人には出会ったことはないけれど。人を敬う言葉や態度をたくさん知っている人間の方が、たぶん傲慢極まりないのだと思う。すべてではないにせよ、自分がその類いだから、至極そう思うだけかも知れない。でも、心を読むことができない人間にとっては、偽善であっても、ときにそれが正しさになることもある。人間同士では愛は無償ではないということ。けれど、それでも、行動を起こす人の勇気が素晴らしいのだと思う。

 人間が嫌いではないのだけど、嫌いな人間が少なくないから、人とで会う勇気がどんどんなくなる。嫌いな人とで会うという以上に、自分自身のランクの低さとか、とにかく対等ではないという問題。この問題は、相手が自分に対してというよりも、グループにおける自分の位置が時間と共に剥がされて確立してしまうことへの恐怖。自分のことを知ってほしくないけれど、理解はして欲しいというわがまま。恋愛でも人間愛でも。

 ひたすら、言いたいことだけ書いてみた。僕が消えてしまってもこれは残るのだろうか、とか。大した文章ではないにせよ、僕の一部として残るのだろう。                                                                                                  

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