2010/02/28

20100228

 文章を書けば、少しは気が紛れるかもしれない。お腹の上の方、心臓の少し下あたりが締め付けられるような感覚があって、不安や焦りや、自己嫌悪などが肉体的に作用しているのだろう。鎮痛剤や安定剤がまだ効いている。衝動的で危険な行動にでないのは、薬のせいではなくただ勇気が無いから。生きているのか死んでいるのか、起きているのか夢を見ているのか、もうわからないし、どちらでもいい。実はもう死んでいてこれは記憶を反芻しているだけかもしれないし。
 夜は、静かだし、何もかも許されると錯覚できるからいい。ずっと夜だったらいいけれど、そういうわけにはいかない。いつか明るみに曝されて、裁かれるときが来る。

 優しい言葉、声をかけてくれる存在、自分にはもったいないくらい。もちろん家族は心配してくれていると思う。自分は一人だと思わないけれど、この表現できない寂しさ、孤独感をどうやっても消すことができない。僕が生きることを望んでくれている人がいるのにもかかわらず、その人たちを裏切るかもしれない。人に依存してはいけない。たぶん、僕はすごく依存してしまう質なのだと思う。前にそういう兆しがあったから。そして、今でもまだ残っている。もう一度会いたいとも思っている。不健全な感情だから、抑制しなければいけない。距離が大事なのだろう。ちょうどいい距離は、難しいし、我慢しなければいけないことも出てくるし、それ以前に自立できていないとだめ。

 醜形症ではないと思うけれど、自分のボディイメージに満足できていない。整形できるお金があれば、たぶん迷わずしていると思う。注目されたいという意識があるのかもしれない。人々を魅了したいという欲望があるのだと思う。醜い欲望。くだらない。くだらない人間。でも、見える部分の美しさで、人は判断されるのが現実。すべてではないけれど、ほとんどいつもそう。

 さっきまでまた雨が降っていて、薬のせいもあるけれど心地いい。今、雨は止んでしまったけれど、暖かい布団の感触がすごく優しくて、気温も適温で湿度もそこそこで、ため息は止まらないけれど、悪くない。明日のことは、わからないけれど、このような安定した精神状態の時は、希望を抱けるような気がする。

 頭の中で、整理できないことを、こうやって文章にしても、まとまりのない文章には違いないけれど、客観的になれるし、悩んだりするより考えようとするので、いくらか建設的だとおもう。

 誰が見るわけでもないブログにアップすることに意味はないけれど、自分が生きていたという記録を残したい。つまらない存在だったかもしれないけれど、誰の役にも立たないかもしれないけれど、こんな人間が生きていたということが、偶然でも誰かの目に止まればいい。よくわか 425;ないけれど、今は、そう思っている。

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